はじめに
2023 年 8 月 19 日(土)より、 東京 ・ 渋谷のユーロスペースを皮切りに、 『ウルリケ ・ オッティンガー 「ベルリン三部作」』 が公開されます。この文章は、 私 (小澤みゆき) が、 ぜひ多くの人に観てもらいたいと思い、 自主的に書いている文章です。
■配給会社 ・ プンクテさんの公式サイト
ウルリケ ・ オッティンガー ベルリン三部作
■公式 Twitter
ウルリケ ・ オッティンガー 「ベルリン三部作」 (@ottingerberlin)
『ウルリケ・オッティンガー「ベルリン三部作」』とは
詳しくは上記サイトを見てもらえればと思いますが、 かんたんに紹介します。
ウルリケ ・ オッティンガーは、 1970 年代から活躍する西ドイツ出身の映画監督です。現在も精力的に作品を撮りつづけていて、 2011 年には日本を舞台にした 『Unter Schnee (雪に埋もれて)』 という作品も発表しているそうです (日本未公開)。
監督の公式サイトは以下です。
■Ulrike OTTINGER (english)
(※本記事を書くためにオッティンガーの Pronouns を確認しようと思い、 Biography を見たところ、 she と表記があったので、 以下、 代名詞を 「彼女」 と記載します。)
今回公開されるのは、 1970 年代後半から 1980 年代にかけて発表された 3 作品です。
- 『アル中女の肖像』 (1979 年)
- 『フリーク ・ オルランド』 (1981 年)
- 『タブロイド紙が映したドリアン ・ グレイ』 (1984 年)
幸運なことに、 2023 年 5 月に行われた試写会にお招きいただき、 一足早く作品を鑑賞しました。映画評論家でも映像関係の職に就いているわけでもない、 一介のインディーズの書き手である私ですが、 以前出版した編著 『かわいいウルフ』 (亜紀書房、 2021 年) の中で、 『フリーク ・ オルランド』 に触れていたことが配給会社の方の目に留まったようで、 ご招待をいただきました。
本記事では、 この 『フリーク ・ オルランド』 について、 試写を通して考えたことを書こうと思います。
『かわいいウルフ』と『フリーク・オルランド』
■かわいいウルフ | 亜紀書房のウェブショップ 〈あき地の本屋さん〉
『かわいいウルフ』 というのは、 もともと 2019 年に同人誌として発表した本です。自費出版での増刷と完売を経て、 2021 年に亜紀書房から書籍化されました。同人誌版 ・ 商業版の違いはほとんどなく、 寄稿者が少し増えたり、 一部記事が加筆修正されたのみで、 ほぼ同人誌版のテンションがそのままに書籍になっています。
本書を一言でいうと 「作家ヴァージニア ・ ウルフのファンブック」 です。ウルフが大好きな人 (私、 小澤) が、 いろいろな人にその作品を読んでもらった上で感想や批評を書いてもらったり、 世界にたくさんある、 ウルフ作品のアダプテーションについて、 あれやこれやと書いています。そのなかで、 『フリーク ・ オルランド』 についても取り上げていました。
制作当時 (2019 年) は、 本作を見るための手段が中古の VHS しかありませんでした。そのため、 ダビングの機械を借りてきたり、 VHS 版を発売していたメーカーに問い合わせたりしました。せっかく取り上げるのなら、 映画の内容についてさまざまな視点から楽しく語りたい。そこで、 ヨーロッパを中心としたアート映画がお好きな、 友人の赤口樒さんをお招きしました。
赤口さんと一緒に 『フリーク ・ オルランド』 を視聴し、 その後、 インターネットに公開されていた上映当時のチラシも参考にしつつ、 対談という形で感想を語りあいました。それが 「オーランドーとカルト映画にまつわるおしゃべり会」 という記事です。
今あらためて『フリーク・オルランド』を語るなら
当時の記事を読み返すと、 難解な作品であったこともあり、 私の理解がかなり浅く、 赤口さんがポイントごとに解説してくださる、 という内容になっています。映像に登場したものの解釈について語りつつ、 連想される他の作品や、 同時代の別の地域の映画について、 縦横無尽に話しています。これはこれで、 とても自由だし、 やってよかったなあと心から思っています。ただ、 もし今の目線で記事を作り直すとしたら、 どんな構成になるだろう……試写を見たあと、 帰り道でそんなことを考えました。
- インディペンデント映画と予算
- 「フリーク」 な者たちへのまなざし
- 換骨奪胎してもなお、 強靭な 「物語」 としての 『オーランドー』
今ならば、 こんな感じのことを語れるのではないかと思いました。まとまるかわかりませんが、 順に書いていきたいと思います。
が、 その前に。『ベルリン三部作』 の予告編をぜひごらんください。以下動画の、 0:51-1:09 あたりが 『フリーク ・ オルランド』 の映像です。
原作であるヴァージニア ・ ウルフ 『オーランドー』 をご存知の方ならすぐにおわかりかと思いますが、 『フリーク ・ オルランド』 は 『オーランドー (Orlando)』 をそのまま映画にした作品ではありません。映像中に 「奇抜に翻案」 というテロップがあるように、 『オーランドー』 を下敷きとしつつも、 オッティンガーのオリジナル作品と言っても差し支えのない内容になっています。独自の世界観が爆発した、 イマジネーションあふれる改作。アダプテーションや翻案と呼ばれるものです。そのため原作小説の映像化を少しでも期待すると、 残念に感じるかもしれません。
原作をかなり忠実に映画化した作品としては、 1992 年の映画 『オルランド』 がありますので、 そちらをおすすめします。ハリウッドデビュー前のティルダ ・ スウィントンが、 美しく儚いオーランドーを演じています。早大な原作を 90 分という尺に収めているため、 やや物足りなさを感じるものの、 こちらはこちらで素晴らしい作品です。HD リマスター版が出ています。
■Amazon | オルランド HD ニューマスター版 Blu-ray | 映画
『フリーク ・ オルランド』 は、 『オーランドー』 そのままの話ではないということを前置きした上で観ると、 オッティンガーの一見、 ややこしく見えがちで、 でも豊かな想像力と、 彼女が映画を通して訴えたいこと――社会から阻害され、 周縁化された人びとへのまなざし――が、 よりクリアになるのではないかと思います。
とはいえ、 前述の通り、 私も最初から本作のことを理解できていたわけではありません。改めて試写会の場で観て、 「ああ、 こういう作品だったのか」 と、 数年越しに腑に落ち、 胸を打たれる箇所がたくさんありました。
その大きな理由として、 映像のリマスター化が影響していたことは間違いありません。映画館という場所で、 美しい映像と音響で観ることにより、 情報量がぐっと増していました。VHS で観ていた時は単純に画面が不明瞭で、 細部に気が付かず、 見落としていた箇所が多々あったことに気づきました。
もう一つは、 『かわいいウルフ』 出版以降、 私の意識の変化があり、 「女性作家」 やその作品について、 より敏感になったことがあります。今よりももっと女性の創作活動が制限されていた 20 世紀後半に、 既存の映画の枠組みからはみ出した、 自由な作品を創っていたオッティンガー。彼女が成したことの大きさに、 以前にも増して共感を抱きました。
小説 『オーランドー』 は、 エリザベス朝時代に貴公子として生まれたオーランドーが、 運命に翻弄されながら恋や冒険を繰り返す物語です。老いることなく生き続けますが、 ある日突然、 ジェンダーが男から女に変わり、 以降女性として近代社会をサバイブしていきます。『フリーク ・ オルランド』 と原作小説に共通するのは、 ざっくりと言ってしまうと 「主人公が転生しながら生き続ける」 「物語途中で男性から女性に変わる」 というところだけです。
対して 『フリーク ・ オルランド』 は、 大きく 5 つの時代のパートに分かれています。神話とも原始宗教とも言える時代からはじまり、 中世の魔女狩りやナチス ・ ドイツの時代を経て、 現代 (戦後) が到来し、 映画は終わります。ただ、 当時の西ドイツ郊外と思われる場所でロケーションしていいるほか、 現代に存在する道具が説明無しに出てきたりしていて、 厳密に昔のこと、 という描き方がされていません。それがわかりにくくもあるのですが、 映画全体からファンタジーや SF のような雰囲気も感じ取れるようになっています。
インディペンデント映画と予算
『ベルリン三部作』 を観てまず気づくのは、 「この映画、 たぶんすごく少ない予算で撮られているんだろうな」 ということです。
『フリーク ・ オルランド』 では、 ビニール袋を切り貼りして作ったと思われる衣装や、 おそらくプラスティックでできている小道具やちょっとしたセットが多く登場します。そうした “チープ” な服やモノたちが、 当時の西ドイツの郊外と思われる、 公園 ・ ショッピングセンター ・ 工場 ・ 廃墟、 といった場所――人の気配のない、 しかし工業化 ・ 近代化された空間――に配置されています。
今思うと、 これは監督が、 予算がないなりに知恵を絞り、 制作上の制約を前向きに捉えた演出方法だったのだと理解できます。しかし、 何も情報がないまま観ていた時は、 そのチープさと、 俳優が語るお話の壮大さがちぐはぐに感じられ、 なんだかよくわからない気持ちになったのが、 初見時の正直な感想でした。詳しい状況説明があまりなされませんし、 特に映画前半はせりふの量自体が少ないので、 理解が追いつかない時もありました。
ただ、 チープなのはあくまで素材の話で、 デザインは美しいです。特に女神のようなオルランドの姿や、 サーカス団員たちの色とりどりな衣装は鮮やかです。現代的な空間の中で、 神話や魔術を感じさせる衣装が同居することで生じるキッチュさが、 この映画の魅力のひとつです。
「フリーク」な人びとへのまなざし
『フリーク ・ オルランド』 の主人公は、 もちろんオルランドではありますが、 彼/彼女は物語を駆動する狂言回しのような存在でもあります。あまり語らないこともあり、 オルランドの主人公としての存在感はそこまで強く感じられません。かわりに印象に残るのは、 物語を通過していく、 数多くの 「
髭をはやし白いドレスを着た女性が磔になっている姿。身体は未分化のまま、 頭はそれぞれ独立している双子。黒いドレスを来た初老の男性――そして全編を通して登場する、 いわゆる小人症と呼ばれる、 低身長の人びと。タイトル通り、 かれらは 「freak=異形な人びと」 として登場します。
つまり 『フリーク ・ オルランド』 は、 オルランドという媒介を通して、 社会から阻害され、 周縁化された人びとを描く映画でもあったのです。私は恥ずかしながら、 本作の最重要と思われるこのテーマを、 初見時にははっきりと理解できていませんでした。大きな歴史の中から、 差別され、 はじき出され、 いなかったことにされてきた人たち。そういう人びとを掬いあげようとする、 監督の切実な気持ちに、 改めて気づかされました。
象徴的なのは、 映画後半、 ヒトラー統治時代のベルリンオリンピック会場で、 オルランドを含む数多くの人びとが連行され、 処刑されるシーンです。たんたんと名前が読み上げられたあと、 銃殺の音だけが鳴り響くこのシーンは、 映画全体の中でもとりわけ重く、 痛みに満ちています。社会の理不尽さと、 差別や偏見に対する明確な NO の意志が、 愚直とも思える方法で示されています。監督の強い意志と勇気を思わずにはいられない場面です。
換骨奪胎してもなお、強靭な「物語」としての『オーランドー』
『フリーク ・ オルランド』 は 『オーランドー』 のそのままの映像化作品ではないと書きました。しかし何度か視聴した上で改めて感じるのは、 やはりこれは 『オーランドー』 という物語にほかならない、 ということです。
オーランドーは何度も転生を繰り返しながら、 ジェンダーをも飛び越えて生き続けます。これこそが、 『オーランドー』 という作品を 『オーランドー』 たらしめている要素であり、 最小にして最大の単位なのではないでしょうか。つまり 『オーランドー』 という物語の語り方はこの世界に無限に存在するし、 作り手の時代や置かれた状況の数だけ 『オーランドー』 がいる。『フリーク ・ オルランド』 は、 そのことを観客に確信させてくれます。
原作小説では、 エリザベス朝時代にはじまり、 ウルフが生きた 20 世紀初頭まで物語は続きます。前述したサリー ・ ポッターの映画版では、 最後は上映当時の 90 年代で終わっていました。幼いオーランドーの子どもが、 8mm ビデオで母親を写しながら迎えるエンディングは何度観ても感動的です。また川久保玲の衣装で話題になった 2019 年のオペラ版では、 オーランドーは戦後、 ロンドン ・ パンクに身を投じていました。つまり、 今を生きる 『オーランドー』 を考える時、 そのときどきの 「現代」 において、 オーランドーにいかなる生き方をさせるのか。ここに、 作り手の個性がもっともあらわれるのだと思います。
■[SWITCH Vol.38 No.3 特集 コム デ ギャルソン オーランドー
オッティンガーの作品は、 一見すると 『オーランドー』 という作品の筋をややこしくさせ、 破壊しているかのようにも見えます。しかし考えれば考えるほど、 『オーランドー』 の本質は傷つくどころか、 輝いて見えるように思えてなりません。オッティンガーは、 最大限のリスペクトを持って 『オーランドー』 という作品に対峙し、 また 『オーランドー』 もそれに応えた。これこそが、 ヴァージニア ・ ウルフという作家とその作品≒ (正典/canon) がもつ 「強靭さ」 なのだと思います。
私たちの時代に、 ウルフはいません。ですが、 奇跡のようなその作品たちは残されています。その物語を引き受けるときに生じる勇敢さが、 『フリーク ・ オルランド』 には溢れています。
デルフィーヌ・セリッグについて
今回上映される 『フリーク ・ オルランド』 と 『タブロイド紙が映したドリアン ・ グレイ』 には、 どちらも俳優デルフィーヌ ・ セリッグが重要な役を演じています。昨年から、 セリッグの作品の選び方、 仕事の仕方に興味を持っていたので、 そういう意味でも 「ベルリン三部作」 は興味深く鑑賞しました。
同じヨーロッパで、 オッティンガーとほぼ同時代に作品を発表していた女性監督に、 シャンタル ・ アケルマンがいます。近年まで私は寡聞にしてその名前すら知らなかったのですが、 シャンタル ・ アケルマンのファンブック 『アケルマン ・ ストーリーズ―5 つの映画、 15 の日記』 を読んだことをきっかけに、 昨年、 『シャンタル ・ アケルマン映画祭』 に足を運びました。
どの作品も忘れがたいですが、 やはり 『ジャンヌ ・ ディエルマン ブリュッセル 1080、 コメルス河畔通り 23 番地』 (1975 年) での、 セリッグの神経質なまでの所作は、 私の映画体験の中でも鮮烈な瞬間となりました。その後、 ユーロスペースで 『ジャンヌ ・ ディエルマン〜』 のメイキング映像である 『ジャンヌ ・ ディエルマンをめぐって』 (1975 年) も鑑賞し、 女性が創る映画、 女性による表現に関心を寄せる、 セリッグのフェミニストとしての姿を観ることもできました。彼女の一連の仕事のなかに、 オッティンガーとの協業もあったのだと思うと、 また違った見え方ができるように思います。
また、 『シャンタル ・ アケルマン映画祭』 は、 今年も上映作品を新たに追加して行なっているようです。全然気づいていなかった……! 東京では 8 月 20 日から目黒シネマで上映するみたいなので、 行けたら行こうと思います。
■映画批評月間 2022 第4回映画批評月間 〜フランス映画の現在をめぐって〜/デルフィーヌ ・ セイリグ特集
さいごに
試写会の終映後、 配給会社のプンクテの方によるご挨拶がありました。それによれば、 会社を立ち上げられて最初の作品がこの 「ベルリン三部作」 なのだそうです。この場を通して、 オッティンガーの作品を、 今の日本に送り出そうとするプンクテの皆さんの勇気をたたえたいです。
ウルフの 『オーランドー』 を愛している人も、 原作のことをあまり知らない人も、 オッティンガーの映画から、 多くのものを受け取れるはずです。いろいろ書きましたが、 何が何だかわからない、 という感想でもいいと思うのです。
2 時間かけて、 わからないものを観るという体験も、 今どきなかなかできないのではないでしょうか。それも含めて、 きっと豊かな時間になるはずです。ぜひ、 劇場に足を運んでみてください! 東京では 8 月 19 日から公開です!
おまけ
編著 『かわいいウルフ』 では、 他にも 『オーランドー』 という作品に焦点を当て、 ボリウッドリメイクの妄想記事や、 上智大学で 『オーランドー』 の英語劇を上演された語劇サークルの方々と小川公代教授のインタビュー記事も収録しています。映画の副読本にちょうどよいと思いますので、 もしよかったらこちらもどうぞ。